イエメン モカ サナニ 2号

もう、どうすればいいのかな?ものすごい期待を持って焼きたてのイエメンモカサナニ2号(2度目の焙煎)を飲んだ。

もう、飲む前から自分の期待の大きさに無心を忘れている。素晴らしいことは必ず期待のない時に起こるのは知ってる。

というわけで、2号の最初の試飲は、神の不在という結果になった。

1号よりもちょっと浅く焙煎してもらった。1号で現れて消えた神は、1号の前後のどこかに存在していると仮定して、まあ、前に賭けたわけ。

まだ焙煎直後だから一度飲んだだけだが、これからの数日の経過でどのように落ち着くのかわからないけど、たぶんふつうのモカっぽくなると思う。

こうなるだろうなあ。と思ってはいたけど、経験則を無視してくるイエメンだから、やってみなけりゃわからない。

「やはり、フルシティローストの中に神はいらっしゃる」というのが、2号を終えた段階での最新の仮定になる。

3号は、フルシティに戻って…。もっと深くを試すのだけど。

なんか、だんだんと、また遠ざかるような気もする。

なんか、気が重いなあ。と思っていたら、思い出した事がある。

1号は、イベントで「イエメンコーヒー」というメニューでドリップしたんだけど、最初はもちろん不安でいっぱいでした。

でも、始まってすぐに、ある一杯を淹れてた時。ドリッパーに膨らむブリオッシュを無理のないように拡げながら、立ち昇る香りと一緒に啓示があった。「心配すんなって!」「全ては神の采配!」まあ、言葉にするならこんな感じの啓示。

忘れてた。また心配してた。神の采配に一喜一憂しててどうする?心配すんなって!

というわけで気をとりなおして今後もイエメンモカサナニ様を信仰して生きたいと思います。

アッラーフ・アクバル!

エチオピアのハラーからイエメンにかけて、やはりイスラムの魂があるように思える。勝手な妄想だけど。

エチオピアは基本的にキリスト教国だけど、ハラーはイスラムらしい。イエメンは堂々たるイスラムだ。

僕は、どちらかと言うと、キリストよりもイスラムに惹かれる。キリスト教もイスラム教も仏教もヒンズー教もユダヤ教もゾロアスター教も、まあ、何にも知らないんだけどね。

ただ、イスラム圏の人々にとってのコーヒーとキリスト教圏の人々にとってのコーヒーは、違うように思う。それは、生産地しかり、消費地も然りだと思う。

イスラムはナチュラルにこだわる。古いやり方を続ける。神の采配だから、人間の都合なんかで何かを変えたりしない傾向があるのではないかと。コーヒーを飲む消費者もその味と香りを単純に楽しんでいるわけではないような気がする。宗教的あるいは哲学的な飲み物っぽい。

キリスト教圏の人々は、改善する。嗜好を分析し、改善を計画し、目標を達成しようと奮闘する。嗜好の世界を拡大していく。サードウェーブとか、そんな感じ。消費者は、その魅力を愉しむために飲む。嗜好の世界の拡大に余念がない。

イスラムからサードウェーブは出ないんではないかと。

まあ、そんな無駄かつ、無根拠なことも考えてしまう。

明日はどんな味になってるかな?2号。

1号を継続的に7日間、飲んでみた今の仮説。イエメンモカサナニは、フルシティ辺りで凄い美味いポイントがあるけど、香りと甘みの足は早め。4~5日目辺りがピークか?まだまだわかんないけど。

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