イエメンモカサナニ2号 の焙煎翌日のご様子

今日も朝から5回淹れてみました。また見事に定まりませんでしたが、先ほどの5回目。とても美味しいイエメンモカになりました。

昨日の感じではこうなるとは思わなかった。頼りない感じが、ガラッと変わって力強いモカ感。美味しいです。神の片鱗の兆しみたいなものがあります。それが、明日からどう変化するのか?

全ての豆がこんな変化をするのか?こんなに継続的に実験的にコーヒーを飲んだのが本当に久しぶりで、よくわからない。こんなんですか?

とにかく、kaffaは、今、イエメンの神秘に惑わされています。

何号まで続きますか?30号あたりまでには、もう一度、神にお会いしたいです。期待してはいけないのだった。

期待してはいけないし、心配してもいけない。恩寵を待つのみ。

アッラーフ.・アクバル!

 

 

 

イエメン モカ サナニ 2号

もう、どうすればいいのかな?ものすごい期待を持って焼きたてのイエメンモカサナニ2号(2度目の焙煎)を飲んだ。

もう、飲む前から自分の期待の大きさに無心を忘れている。素晴らしいことは必ず期待のない時に起こるのは知ってる。

というわけで、2号の最初の試飲は、神の不在という結果になった。

1号よりもちょっと浅く焙煎してもらった。1号で現れて消えた神は、1号の前後のどこかに存在していると仮定して、まあ、前に賭けたわけ。

まだ焙煎直後だから一度飲んだだけだが、これからの数日の経過でどのように落ち着くのかわからないけど、たぶんふつうのモカっぽくなると思う。

こうなるだろうなあ。と思ってはいたけど、経験則を無視してくるイエメンだから、やってみなけりゃわからない。

「やはり、フルシティローストの中に神はいらっしゃる」というのが、2号を終えた段階での最新の仮定になる。

3号は、フルシティに戻って…。もっと深くを試すのだけど。

なんか、だんだんと、また遠ざかるような気もする。

なんか、気が重いなあ。と思っていたら、思い出した事がある。

1号は、イベントで「イエメンコーヒー」というメニューでドリップしたんだけど、最初はもちろん不安でいっぱいでした。

でも、始まってすぐに、ある一杯を淹れてた時。ドリッパーに膨らむブリオッシュを無理のないように拡げながら、立ち昇る香りと一緒に啓示があった。「心配すんなって!」「全ては神の采配!」まあ、言葉にするならこんな感じの啓示。

忘れてた。また心配してた。神の采配に一喜一憂しててどうする?心配すんなって!

というわけで気をとりなおして今後もイエメンモカサナニ様を信仰して生きたいと思います。

アッラーフ・アクバル!

エチオピアのハラーからイエメンにかけて、やはりイスラムの魂があるように思える。勝手な妄想だけど。

エチオピアは基本的にキリスト教国だけど、ハラーはイスラムらしい。イエメンは堂々たるイスラムだ。

僕は、どちらかと言うと、キリストよりもイスラムに惹かれる。キリスト教もイスラム教も仏教もヒンズー教もユダヤ教もゾロアスター教も、まあ、何にも知らないんだけどね。

ただ、イスラム圏の人々にとってのコーヒーとキリスト教圏の人々にとってのコーヒーは、違うように思う。それは、生産地しかり、消費地も然りだと思う。

イスラムはナチュラルにこだわる。古いやり方を続ける。神の采配だから、人間の都合なんかで何かを変えたりしない傾向があるのではないかと。コーヒーを飲む消費者もその味と香りを単純に楽しんでいるわけではないような気がする。宗教的あるいは哲学的な飲み物っぽい。

キリスト教圏の人々は、改善する。嗜好を分析し、改善を計画し、目標を達成しようと奮闘する。嗜好の世界を拡大していく。サードウェーブとか、そんな感じ。消費者は、その魅力を愉しむために飲む。嗜好の世界の拡大に余念がない。

イスラムからサードウェーブは出ないんではないかと。

まあ、そんな無駄かつ、無根拠なことも考えてしまう。

明日はどんな味になってるかな?2号。

1号を継続的に7日間、飲んでみた今の仮説。イエメンモカサナニは、フルシティ辺りで凄い美味いポイントがあるけど、香りと甘みの足は早め。4~5日目辺りがピークか?まだまだわかんないけど。

YEMEN MOCCA SANANI

10年くらいぶりのイエメンがkaffaにやってきました。

Royalさんから買ったYEMEN MOCCA SANANI 。6月に豆が届いて、カッピング参加者に小分けして売った際に、麻袋を開いて初対面してから数カ月。ようやく、焙煎してみることができました。

生豆の見た目がひどい。匂いもフルーティではない、醤油蔵みたいな匂いがある。「あー、とんでもないもの買っちゃったな。」と後悔しながら、選別をする。4kgの生豆から3kgに減った。それでも、薄茶の綺麗とは言えない豆たち。サイズもバラバラ。全体に小粒で、とんでもない小粒もある。どれも枯れた感じ。「こんなんで味があんのかな?」とも思う。

でも、選別を進めるに従って、絶望の中に、根拠が無い期待が、生まれてくる。「味わったことのないくらい美味いコーヒー」かも知れない。今までのエチオピアハラーだったら取り除かれるであろう見た目の豆たち。でも触っていると何かが違う。硬く締まった感じ。何せ見たことないから。こんな生豆。まあ、この期待はその時点では、とてもはかないものだった。希望なしに選別はできないからね。

翌日、焙煎人に焙煎してもらいました。かなり深めに。

すぐさま、一杯淹れてみました。普通、焙煎直後のコーヒーはおいしくないです。だから、期待はしてませんでした。ただ、「まあ、飲めるコーヒーであってほしい。」と思って。なんせ、あと100kg以上ある。しかも今回仕入れた豆では最も高価!こんなに汚くても、至宝イエメンモカなんだから。

驚きました。驚きというより、たぶん舞い上がった。今まで生きて来て、最高に美味いコーヒーだった。僕が求めるコーヒーがそこにあった。到達した!甘くてトロッとしてスムーズでチョコレートの酸味が残って。

その後、数時間を経て、確認のためにもう一杯。「あー、これがモカ!」甘い香りと味に包まれる。

売れないコーヒー屋として、25年。ついに経済的に全く心配のない状況が訪れた!これが売れないわけがない。飲んだ人は必ず買うだろう!

いつもコーヒー淹れててお客さんに聞かれる。「おススメは?」。プロの端くれとしては、まあ、口籠もりながら「kaffa blendですかね。」と答える。が、全く自信はない。まず、他人の好みはわからないから。でも、最も重荷なのは、自分ですら、このカップが美味しいという自信はないのだ。

これがコーヒー屋としてどれほどの重荷であるか。僕にとっては、常に腹だか胸だかの奥に息苦しい結び目が存在するひとつの大きな原因だと思っている。

しかし!このイエメンがあれば!人生が変わる瞬間。神の降臨。アッラーフ・アクバル。

翌日、僕はまた、地獄にいた。朝、期待を込めて淹れたイエメン。無茶苦茶だった。甘い香りも味もなく、尖った苦味が強すぎる。もう一度、試す。不味い。

結局、その日、4回淹れて、神に会うことはなかった。神どころか、不味かった。

翌日の「クリスマスマルシェ at T omioka」のイベントで淹れる予定の焙煎豆だったから、その夜は気が重かった。明日になれば、少なくとも、提供できる味になっていることに望みを託して寝た。焙煎直後から数日は味は基本的に落ち着くほうこうに変化するから。

翌朝、まずイエメンを淹れる。まずまず、というか、昨日の荒れた感じは消えている。落ち着いて、トロッとしたボディを感じる。微かにだが、チョコレートの酸味がある。これなら、出せる。少しホッとする。

だが、初日の神はいない。

そして、焙煎から6日目の今日まで、徐々に美味くなってる。とても美味いコーヒーだと思う。でも、神はいない。

考えてみれば、当たり前かも知れない。あれが常にあれば、コーヒーの世界はイエメンモカに席巻されるだろう。kaffaがあれを常に売れば、大金持ちになるだろう。というか、あれが意図的、技術的に生み出されるなら、スターバックスがやるだろうし、ネスレやUCCがやらないわけがない。

あれは、一瞬の夢?いや、たぶん、イエメンモカサナニを続けていれば、また会えるに違いないし、その微かな片鱗なら、常にカップにできるくらいになるかも知れない。

いづれにせよ、YEMEN MOCCA SANANI とは、これから生きてる限り付き合っていただくことになると思う。

すごい豆に出会えた。コーヒーに関する僕の経験則をことごとく粉々にして、大きなギフトを残してくれた。

アッラーフ アクバル!