フジロック!

kaffaが毎年出店する大きなイベントと言えば、夏休み最後を飾る佐渡島のアースセレブレーション。佐渡島の風土と人々と鼓童の太鼓の響きが作り出す空気に魅了されまくり、8年連続。3日間のイベント期間のみならず、年々佐渡島滞在日数が延びている。もう、ただのイベント出店ではなく、kaffaにとって、一年間で最も大切なまつり。知らんけどリオデジャネイロ人にとってのカーニバルみたいなものかも。とてつもなく疲れるんだけど、本番では時々泣きそうになり、商売投げ出したくなったりもするんだけど、終わると別の意味で泣きそうになり、来年も来るぞ!と思わせてくれる。翌日の小木港、鼓童による送り太鼓で、まつりが終わったことを完全に識る。あー、また1年頑張って、また来よう、と思う。ものすごい感謝の気持ちと共に。特定の対象がない感謝の気持ちだ。地球祝祭。

あー、書いてると、また佐渡島のイメージが蘇り、行きたくなる。

アースセレブレーションについて書こうとしたんじゃない。

フジロックだ。
僕は、フェスというものに、客として行ったことはない。結婚して以来、NO MUSIC (後ろに続くNO LIFE がないやつ)をモットーとする焙煎人に矯正されてしまったのだ。

でも、フェス出店は大好き。アースセレブレーション以外には、地元群馬で数年前にあったMAROYAKA FESっていうフェスしか出店したことないけど、あの、朝から晩まで音楽が聞こえ、お客さんがハッピーな感じが、大好き。

で、マロヤカフェス以来、フェス出店を何度か企てたことはあるんだけど、出たいなあ、と思うフェスは、大抵、出店者の公募がなかったり、kaffaが死にそうになりながらコーヒー淹れ続けたとしても、赤字になりかねない出店料だったりして、諦めていた。一杯一杯ドリップして400円位のコーヒーでは、数万円から数十万円の出店料は払えないのだ。

で、フジロックだ。苗場だから遠くはない。去年、東京でのイベントに一緒に出店していたコーヒー屋さんが、数年前にフジロックに出た話を聞いて、出てみたいねーなんて焙煎人と話してて、調べてみたら、締め切り過ぎてた。

で、今年。募集が始まっている。締め切りは3月。出店は狭き門。審査に合格してフジロックに出店できたらスゴイらしい。出店料も、スゴイけど、売り上げもスゴイらしい。72時間連続ドリップ。たぶん、死ねるレベルに疲れるだろうけど、持久力より瞬発力の僕には何とかなるような気もして。いや、これは、持久力だな…。助っ人が必要だ。

7月はフジロック。8月はアースセレブレーション。っていいなあ、と思ってしまった。

今日、問い合わせしてみたら、コーヒーだけじゃダメみたい。「フェスごはん」なんだよ。何か食事を提供しなければダメみたい。そういえば、東京で会ったコーヒー屋さんも、コーヒーとホットドッグ屋さんだったなあ。

うーん、どうしようかな?何か作るかな?そこまでしてフジロックに出店したいのかな?なんとか審査までに(試食審査もあり、面接もある!)おいしいフェスごはんを作り出したとして、それで合格できる保証は全然ない。だいたい、kaffaは、コーヒー屋としてフジロックに出店してみたいわけで、おいしいフェスごはん屋になりたいか?と問われると、うーん、どうなんかな?

どうしようかな?応募するかどうか、ちょっと、暫く考えてみます。というのが、今日のところ。

フジロック。お祭り商売、ハッピーな商売として参加してみたいんだけどな。

2017年初イベント出店

kaffaの商売は、焙煎豆の販売、kaffa busの移動喫茶店営業、そして、いろんなイベントへの出店、あっ時々、kaffa吉祥寺でのイベント主催もありますね。

今日は、今年初のイベントへの出店でした。イベント出店の形は、リアカー型の1号店と、kaffa bus の2号店があります。

今日は、kaffa bus 出店でした。毎年、この時期にイタリアン料理を教えておられるボッテガさん主催で、美味しいおやつのマナペコさんのお菓子が中心。大人気のマナペコさん。開場前からお客さんが待っている。予約制のアップルパイ。毎年、kaffaは、予約をせずに後悔することを思い出しましたよ。予約せずに買えるお菓子もありますが、コーヒーのお客さんが途切れた時には既に遅い。今日は、名前がわからないけど、小さいタルトみたいなやつ、チョコレートとジャムみたいなドロチュルっとした何かが乗ってたのを一つ食べられただけ。おいしかったな!

マナペコさんのお菓子は一つしか食べられず残念でしたが、オープンいきなりで買ったチャラカラさんの二種盛りカレーには大満足!

コーヒーの商売は、想定よりもかなり忙しく、これもまた、毎年、牛乳とか水とかが途中で無くなることを思い出しました。

こんな時期のそれも平日。冬はイベントが少ないから、このイベントは大抵久しぶりのイベントになる。だからkaffaの想定は外れがちになるに違いないと、今日思いました。

まあ、牛乳がなくても、カフェオレを諦めて、ブラックを注文していただくお客さんも多く、久しぶりにコーヒーを淹れ続ける修行のような数時間。イベント出店の醍醐味を味わえました。

高崎方面の久しぶりの方々にもお会いできたし、気持ちよいヘロヘロです。

皆様、ありがとうございました!

会場の思高建設さんには、去年に引き続き、大量の建築材の端材をお土産にいただき、多分、一週間は、我が家は暖かく維持できそうです。聞けば、去年僕が端材を持って帰ったから、今年はわざわざ多めに積んで置いていただいたらしく、遠慮して何も言わずに帰ろうとしてたら声をかけてくださった。優しい方々、ありがとうございました。

お客様、ボッテガさん、他の出店者さん、思高建設さん、年末年始でまだちょっとぼけ気味のkaffaでしたが、おかげさまで何とかイベント出店感覚を思い出した感じです。ありがとうございました。

ありがとうの多発は、嘘臭いから嫌ですが、他にどうすればいいのか、わかりません。黙ってればいいのか?

関係ないけど、僕はいつもそう。何かと、「ありがとう」と言う。でも、本当に、考えると「ありがとう」しかない。普段は全然感謝に満ちてるわけじゃない。こんなことがあった、あんなことがあった、思ったり、考えたりすると、感謝の言葉以外にない。黙ってればいいかもだけど、書く時点で黙れないわけで、ついつい、「ありがとう」。

みんなどうしてるんだろ?

話がグダグダになりましたところで、お終い。

あっ、そうそう、今日は、久しぶりに「黒いTシャツと青い人生相談」が一冊売れました。これが売れると僕は嬉しい。

僕は覚えてないんだけど、焙煎人が言うには、去年もここで一冊売れたそうです。不思議なイベント。

不思議に嬉しい感じは、ボッテガさんの目がクリッとする笑顔と繋がってるんだね。

忘れないように。来年は、アップルパイを予約すること。牛乳は、5本用意すること。抽出用の水は20リットルでは足りないこと。建築端材が手に入ること。

kaffa bus @ Fritz art center

今日のフリッツでのkaffa bus 営業は、何か普段と違う感じでした。

そもそも、昨日の町田酒店さんでの営業前から、コーヒー豆の在庫が微妙でした。基本的にkaffa bus 営業は、暇です。
1日に400gの豆を使うことは稀です。発送や、卸の豆の余りで、kaffa bus と自家用のコーヒーを賄う感じがkaffaの日常です。今回、いい具合に焙煎豆が売れてゆき、ちょっと残った豆。いつものkaffa bus なら、セーフ。金曜日、焙煎人が焙煎し、僕がkaffa bus 営業すれば余裕だったのですが、月曜日に幾つかの卸販売と発送がある関係で、できれば日曜日に焙煎したい。できるだけ鮮度重視なのです。

別に2〜3日の違いなんて大したことなくて、実は、その方がおいしかったりするのですが、発送してお客さんの手元に届いて、実際に淹れて飲むまでの時間を考えると、新鮮であればあるだけ良いと思うのです。

そんなわけで、金曜日、たぶん二日分大丈夫な量の豆を持ち、町田酒店さんに臨んだわけです。そしたら、思いがけない繁盛ぶり。土曜日用にはちょっとヤバイくらいの豆しか残りませんでした。

うーん、帰って焙煎するのか?金曜日の夜は、子供たちの太鼓の練習日。親はただの見学なんだけど、生の太鼓の振動は、結構楽しみだったりするわけです。練習は、僕独りでの付き添いもやむなし、焙煎人は帰って焙煎、と覚悟したところ、帰り際、町田酒店に、カファブレンドが3袋残っているではありませんか!先週納品したやつを一袋お借りして今日に備えました。

で、今日。余裕のつもりでしたが、今日も、思いがけないちょっと繁盛。ものすごく忙しかったわけではないのですが、終わってみれば、なんとぴったり!あと1杯分の豆も残りませんでした。こんなこともあるんだなあ。

今日は「あー、あのひと、今、元気かなあ、どうしてるかなあ」と時折思う人が二人、別々に、訪れてくれましたし。それぞれの近況も、聞くことができました。

お二人とも、お二人らしく。

実は、この春、kaffa bus の喫茶店営業許可(自動車)の更新なのです。もう5年。去年の暮れころには、商売になるとは言えないkaffa bus も、年貢の納め時かなあ、などと、考える時期もあったのです。

更新するには、また、少し、保健所さんのお気に召すように改修も必要になりますし、kaffa bus は、古い車としては調子がいいとは言え、それなりの金食い虫でもあり、店主共々kaffaの赤字部門なのは間違いない。

でも、まだ続けます。冬の冷たい強風にガタガタ震え、夏の灼熱にクラクラしながら、時折負けて、運休してしまう根性なしのkaffa bus 営業。それでも、毎週、あるいは、時折、あるいは、初めて、来て、コーヒーを飲んで下さるお客さんがいる。なぜ?こんなに寒いのに!こんなに暑いのに!こんなに汚いのに!いや、そんなに汚くはないか…。いや、汚いか…。とにかく、スターバックスみたいじゃないのに!

もう本当に無理って状況になるまで、やります。名実共に爺さんになってもやっているかも知れません。(本心では隠居できるんなら、御隠居になりたいんですが。)

「あれー、kaffaさん、まだやってたんですかー?」とか言われながら、超久しぶりのお客さんと再会するなんて日のことを想像しながら。

今日、来てくれたお一人は、4年ぶりだったんだ。ものすごく親しいって間柄ではなかったんだけど、どちらかというと他人行儀だったんだけど、毎週のようにお会いしてた。で、4年ぶりに会って、初めて、心からおしゃべりしたような気がする。
4年。僕にもいろいろあったし、彼にも、いろいろあった。その間、僕と彼との間には何にもなかったのに、彼がkaffa bus を訪ねてくれ、彼の4年と近況を、全く他人行儀ではなく僕に語ってくれた。そして、本当においしそうにコーヒーを飲んでくれた。時間って不思議。人間って不思議。

なぜかはわからないけど、続けていて良かったなあ、と今、思っている。これからも続ける力を、今日も少しもらったんだなあ。

赤字部門。そりゃあ、数字的にはそうかも知れんけど、コーヒー屋としてのやる気的には、kaffa bus やっぱ黒字なんだよな!それに気づけた今日でした。ありがとう!

やる気がなかったら、数字が黒字でもやってけないよね。仕方なくやってるなんて、自営業の地獄だよね。

で、今日のおまけ。フレンチローストちゃん!溺愛したいでしょ?

春よ こい

金曜日、町田酒店さんでのkaffa bus 営業。昨日の天気予報で、春の陽気だとのことで、昨夜から期待していたのだけど、朝起きたら、なんだか曇り空。あれー、ちょっと期待外れ。でも、まあ、それほど寒くはない。

でも、準備して山を下りる頃から、お日様が徐々に照り始めた。道中、ヒーターの効かないkaffa bus でも、寒くなかったし、町田さんに到着した時には、ポカポカしてた。上着を一枚脱ぐ。

あー、久しぶりのあったかさ!何か、二週間くらい寒かったですよね。年末年始ぐらいまでの寒さとは違う、「寒」!って感じの。身体が固く固まる感じ。

そう言えば、毎年こんな感じだよなーと思い出してました。「春よ、はやく来てくれー」身も心も、春を待ち望む感覚。

その日が来ました。これです。これを待ってました。

また、寒くなるでしょう。でも、春はそこまで帰って来てる。あと数週間すれば、三寒四温の日々が来て、そして春になる。あのポカポカが来る。

その日の訪れを実感として思い出される日でした。

そんな日に、たくさんのお客さんに来ていただきました。口々に、「今日はあったかいねえ。」と。みなさん笑顔で。

厳しい野外カフェならではの、実感の暖かさ。デンポちゃんストーブも眠る、ひなたカフェ。長居することに苦痛がないカフェ。ありがたや。お客さんが、ゆっくり寛いで、コーヒーを飲み、語り、笑う。あー、ありがとうございました。

シーちゃんも、みなさんに「かわいい、かわいい」と言われ満足げです。今は、ぐったりと眠ってます。

家に帰れば、かわいい子犬たち。毛むくじゃらの、寒さをまだ知らない子犬たち。すくすく育っています。黒い子二匹が比較的小さくて、おっぱいの飲み方が下手くそで、うちの娘が心配しています。僕は、大丈夫だと思っています。
毛艶も悪くないし。

でも、パーチも高齢犬だし、昨日あたりから、なんだか身体が痒いみたいで。春の訪れと共に、ダニからくる皮膚病が再発したのではないか、と心配しています。

ここ数年のイノシシの大量発生で、冬以外はダニに悩まされてます。昨日は、庭先50mくらいの所で、巨大な黒い獣を目撃しました。たぶんイノシシ。もしかしたら熊。今日は、町田さんに向かう道すがら、突然道路脇の藪から鹿が飛び出し、隣のシーちゃん、目を丸くして身を乗り出して興奮してました。山です。まだ雪も残っています。裸の木立です。これが、あと数ヶ月もすれば、ジャングルのような緑に覆われます。信じらんないくらいです。

夕方、予報通りに、冷たい風が吹き始め、またまた寒くなりました。でも、今現在、夜10時半、外気温3℃あります。春が近づいています。

あー、春がたのしみ。冬もいいけど、やっぱり、ちょっときびしいよね。

生後まる2日

生後まる2日経った母犬パーチと5匹の赤ちゃん。

しばらくは、母犬がおしっことうんちを綺麗に舐めてあげます。赤ちゃんは自分では排泄できません。目もまだ開きません。とても小さいけど、みんな元気です。

昔は、なかなか触らせてくれませんでしたが、さすがに10年経つと信頼されているらしく、生まれた直後にも触らせてくれます。嫌そうではあるんですが。

妊娠中、授乳中は、ものすごい食欲です。5匹の赤ちゃんが見る見る丸くなるので、当たり前ですが。

昨日は、お祝いに、寒ブリのあらを大量に煮てあげたのですが、そういうご馳走に慣れてしまい、ドッグフードには見向きもしません。それどころか、仔犬たちを抱きかかえたまま、僕がパーチの口元にブリを運んでやるのが気に入ったらしく、強く要求するようになってしまいました。

さて、これからしばらくどうしたものか。。。

一日に2回くらい短時間外に出て、自分の排泄を済ませ、一目散に帰ってきます。あとはずっと、子犬を抱いています。

クマちゃんとシーちゃんには、まだ近寄らせません。目には見えない結界が張られていて、経験豊富なクマちゃんは、決して近づきませんが、シーちゃんは、今日、うっかり3メートル以内に近づいてしまい、ウツボのようにダンボールの巣から飛び出したパーチに泣かされ、ビビっていました。シーちゃんも学んだようです。

1ヶ月くらい経つと、子犬たちはやんちゃになり、パーチも半分嫌になり、シーちゃんが、遊んでやる係を任されるようになるでしょう。しかし、クマちゃんは、そういうのはめんどくさいらしく、ほとんど相手にしてやりません。

今回の子犬たちは茶色から黒までのグラデーションの毛色なので、コーヒー屋らしく、仮の名前を、薄い方から、シナモンローストちゃん、ミディアムローストくん、ハイローストくん、フレンチローストちゃん、イタリアンローストちゃんと呼ぶことにしました。

ミディアムローストくんには、予約が入りました。そのほかにも、2件ほど、打診があります。みなさん!犬との生活は最高ですよ!

さあ、予約だ!

何でこんなこと書くのか?

安倍首相が大嫌いだと、このブログで書いたのは、何でだろう?と考えていたんだけど、何となくわかりそうなので、書きながら考えてみる。

書くということは、言語化することだから、自分の混沌を少し抽象化する。混沌の全体像だか、一部だかを、取り出して見る。それが考えることだと思う。

さて、僕は、なぜ安倍首相が大嫌いだと表明したのか?その動機は何か?

まず発見したのは、僕は、自分のことを少数派だと思っているということだ。そして、それに、ある種の居心地の悪さを感じている。さらに、その居心地の悪さから、何とかして逃れたいと思っている。いや、僕という存在全体が、ではなく、ある一部分が。

この居心地の悪さを居心地が悪いと感じないために、様々な方法がある。

よくやるのが、孤立だ。少数派として、孤立する。それでよしとする。何が問題なのか?と言って聞かせる。自分に。

まてまて、その前に、なぜ居心地が悪いのか?という問いを立てなければならないのか。

簡単である。単純に言うと、僕は、みんなに好かれたいのだ。

みんなに好かれたいのに、少数派で異端だから、好かれないに違いない。と感じてしまう。嫌われたくない。

さらに問う。本当に、みんなに好かれたいのか?

できれば、だ。僕という存在が耐えられる範囲でなら、できるだけ多くの人々に好かれたい。

まてまて、嫌われたくないのか?あるいは好かれたいのか?

僕は、僕が好きな人々に嫌われたくない。できるだけ好かれたい。

僕自身が嫌っている人々に嫌われても、へっちゃらだ。例えば、宮根誠司に嫌われても、へっちゃらだ。

うーん、ちょっと混乱してきたぞ。何を考えるんだっけ?

なぜ、商売のためのブログに安倍首相が大嫌いだとか書くのか?という問いだ。

僕は、お客さんに好かれたい。僕は、お客さんが好きだ。どんな政治的信条でも、どんな神を信じていても、どこの球団のファンであっても、kaffaのコーヒーを美味しいと思ってくれる人々のことが好きだ。宮根誠司がkaffaコーヒーが好きでお客さんなら、たぶん、好きだ。その可能性がないから、大嫌いだと言えるだけだ。

まてまて、本当にそうだろうか?

僕は、ヘイトを撒き散らす人々が嫌いだ。ヘイトとは、何か?そんなことはどうでもいい。僕が嫌いなのは、有利な立場から、不利な立場の人間や生き物をいじめる人々だ。人間はみんな不完全だ。ダメな人間ばかりだ。自分のダメさを見ず、自分より弱った存在のダメさをこれ見よがしに叩く。この心性が嫌いだ。生活保護を受ける人がパチンコ行ったっていいじゃないか!

だけど、最近の風潮だ。みんなでよってたかって。中国人観光客のマナーがどうのこうの。ほんのちょっと前の東南アジア買春ツアーとか、忘れたのか?慰安婦は売春婦だ!とか。日本人だろうが、何人だろうが、過去に行った国家的な非道い行為は反省し、謝罪する以外にどうするというのか?

所謂、ネトウヨとか称される人々。なんとかホテルとか、なんとか美容整形のお偉い人々。僕は、彼らにkaffaのお客様になっていただきたくはないのだろう。彼らが彼らのその愚かさに気づかない限りは。

彼らは愚かだ。と僕は、思う。パチンコに通う生活保護受給者も愚かなんだろうが、僕は、後者には共感できる。僕も似たようなもんだからだ。

あ、僕は、まるで自分がいじめられてるかのように感じるのか。

あ、また少し脱線してる。なぜ、わざわざ安倍首相が嫌いだと表明するのか?という問いだ。

共感を求めている。「そうだよね!」という反応を求めている。

そんな人と繋がりたいと願っている。僕という存在とkaffaの商売は不可分なんだ。お金になれば何でもいいわけじゃない。商売を通して、僕は他人と繋がろうとしている。共感のある繋がりを築きたい。お客さんのことが好きでありたい。お客さんに好かれたい。誰でもいいわけじゃない。

たとえ、多数の人々に嫌われても、優しい人に、僕の変なところも笑って見逃してくれるような優しいお客さんと繋がりたいのかも。少数派に安住するためには、大切なことだ。

そして、嫌いな人と無理して付き合いたくないのかも。

人がやらないことを敢えてやる。それでも好きでいてくれる人と繋がりたいから?うーん、子どもじみてるかも。幼稚なkaffa店主だな。

取りあえず、こんなこと考えてみた。コーヒー飲みながら。幼稚な哲学。

安倍首相について

商売をする上で、政治と宗教と野球の話はするなといわれる。野球の話くらいいいだろう、と思うんだけど、政治と宗教については、確かに肯けるところがある。ちなみに、僕は、アンチ巨人で、TVも、ここ10年以上ないから、観ないけど、一応カープが好きだ。

いくら僕がアンチ巨人を表明したところで、巨人ファンのお客様がkaffaから逃げて行くことは、まあ、稀だろう。大企業なら、稀なことにも敏感にならざるを得ないとは思うけど、kaffaだからね。スモールビジネスの楽なところだ。たぶん、この表明でkaffaは、一人のお客様も失うことはないだろう、と想像できる。

だが、安倍首相について、である。かなり、危険な感じがする。黙ってた方が良いような気がする。

僕は、安倍首相が大嫌いである。この表明で、kaffaは、潜在的お客様の多分2割くらいを失う。既存のお客様の一人か、二人か、を失うかもしれない。書いているうちにだんだん怖くなってきたぞ。「公開」をクリックできるだろうか?

なぜ、そんなことを表明する必要がある?必要はないんだけどな。

でも、今、一番言いたいことの一つなんだよ。何でだろ?馬鹿なんかな?

僕は、安倍首相が大嫌いである。なぜなら、傲慢で、ズルくて、嘘つきだからだ。安倍首相個人というより、その取り巻きやお友だちたちの言動、安倍首相を首相に留めている状況が、耐え難い。彼らが、上手くコントロールしている狡猾さが、耐え難い。

安倍首相の言葉には、何もない。軽すぎる。「説明を尽くす」。安倍首相の、まともな説明を聞いたことがない。これを読んでいる方で、安倍首相が何かについてのきちんとした説明をしている場面をご存知なら、是非教えていただきたい。我が家にはTVがないし、新聞もないから、僕の得る情報は、かなり偏っているのかも知れない。

安倍首相は、批判に対してきちんとした反論ができないように見える。話を逸らし、批判者を批判するだけで、合理的な反論ができない。本来なら、政治家として最低レベルだと思うのだが、「人気」のおかげか、なぜかそのお粗末な突っ込み所満載な言論は、スルーされる。

TV では、百田尚樹とか、宮根誠司とか、気持ち悪い人たちが、安倍首相を援護する。基本的にヘイトを撒き散らすことによって。中国が、韓国が、外人が、在日が、左翼が、生活保護が、反日が、同性愛者が、ホームレスが…。

10年前には、こんなんじゃなかったよ。みんな余裕をなくしちゃって、どうしたの?そんなに、他人を一括りにして貶めて、何がしたいの?

中国や韓国にガツンとやれる日本の国民であることが、そんなに嬉しいことだと?

国のやることに、いちいち反対する奴らは、そんなに邪魔なの?ウザイの?

国から、個人に対して、あれをしろ、これをするな、あーしろ、こーしろと命令されて、幸せなの?

「全ての国民は、個人として尊重される。」ことが、なぜ嫌なの?

そんなこと言ってたら、テロに殺されるって?

個人が、国に殺されるんだよ。安倍首相は、国が大事なんだろう。指導者として、国民を指導するための国が。指導者としての目線であり、何のために指導するつもりなのか、僕にはわからない。国民の幸せのため、とか言うんだろうけど、安倍さんの指導で僕が幸せになることなんて、想像もできないね。

個人としての国民、それぞれが、自由に個人の幸せを追求する。その自由同士がぶつかって、個人同士で解決できないとき、国が介入する。国は、指導者なんかじゃない。

僕は、安倍首相みたいな人に指導されたくない!

あー、書きたいこと書いたら、ちょっとすっきりした。でも、何でこんな事、書くんだろ?商売のためのブログに。

僕は、こんな人間です。こんな事を考えています。で、生きるために、生業としてコーヒー屋をやっています。なるべく裸でスッピンで生きていきたいという願望がある。仮面つけてると疲れるんだよ。

パーチ、何度目かの出産!

土曜日あたりから、そろそろかなと思っていた。昨日から、食欲が落ち、今日は、ほとんど食べていない。今日は、何度も外出し、落ち着かない。

で、そろそろ寝ようかなと思ってたら、陣痛が始まった。あっちこっちをうろうろ、ベンチの下に潜り込んだり、敷物の上を掘ってみたり、クンクンと時折泣きながら。結局、ベンチの上のセーターの上で出産始まりました。

陣痛開始から、多分40分くらい。第一子が出てきた。犬の赤ちゃんは、一匹ずつ袋に入っている。パーチが袋を噛み破り、へその緒を噛み切るグチュグチュという音がする。そして、綺麗に舐める。ピーピー、グッグッと赤ちゃんが声を出す。直ぐにおっぱいに吸いつく。そうして一匹目が整うと、次が出てくる。

今、陣痛開始から、2時間弱。3匹目が産まれている。パーチは、満足げに3匹の赤ちゃんを抱えて、こっちを見ている。

パーチと出会ったのは、10年前。2歳の次男と、ハイハイしてた末娘と、焙煎人と4人で公園に遊びに行ったとき。

一匹の犬が寄ってきた。まだ若い犬だった。ハイハイする娘のそばをゆっくり優しく付き添うように歩いてた。遠くに他の家族連れが見えると、そちらに行ったかと思うと、また我々の方に帰って来て、はしゃぐでもなく、遠慮がちな感じで一緒に遊んだ。

広い公園で、その犬に我々が付いて歩いた。砦のような木製の大きな遊具の片隅に、どうやら住んでいるらしく、見せてくれたりした。

帰る時、車のドアを開けて、「一緒に来る?」と聞いたら、一瞬悩んだようだけど、乗ってきた。

それ以来、うちの家族になった。その時には、うちには、すでに、ナツとテンテンという母娘がいたんだけど。はじめの頃は、よくケンカしてた。

ナツも何度か出産した。何度目かで、テンテンが残り、二匹とも避妊手術をした。小さい子供二人を抱えて、犬の里親探しをする余力が僕たち夫婦にはなかったから。

パーチは、避妊手術をしていない。もう何度出産したのか、覚えていない。2年に3回のペースだから、15回?少なくとも10回は出産しているはずだ。

僕たちが群馬に越して来てから、パーチは9匹目の犬だ。スプーティ、バウル、グーガ、チビ、ハナ、とーちゃん、ナツ、テンテン、そしてパーチ。出産したのは、グーガ、チビ、ハナ、ナツ、パーチ。

途中だけど、今、4匹目がパーチから出てきた。

たくさんの子犬たちを配ったなあ。よく里親さんが見つけられたなあ。100匹位になるのかなあ。我ながら、凄いと思う。

で、現在、うちには、パーチの息子の、クマちゃんとシーちゃんがいる。

みんなかわいいけど、これ以上は、ちょっと無理。これから、今回のパーチの赤ちゃんたちの里親さん探しが始まる。貰われて行くまでの約3ヶ月、かわいい子犬との生活を楽しませていただきますが、誰かもらってください!

犬ってのは、本当に、いいひとたちです。

これから、しばらくは、kaffaは、コーヒー屋というよりは、犬屋に近い感じになります。実際、コーヒーより、犬の方に詳しいかも知れない。

焙煎人や僕のTwitterや、Instagramが犬一色になったとしても、コーヒーは変わらずに売っておりますので、忘れないでね!

先ほど、パーチの無事出産をお祝いして、昨日焙煎のティモールロロサエブレンドを、うんと濃厚に淹れて飲みましたが、とても美味しいと思いました。

そういえば、ティモールのマウベシのマーケットにも、子犬を抱えた母犬がいて、小さな女の子とその母親が、幸せそうに、傍らに座っていたなあ、と思い出しました。

あー、パーチから、今、5匹目が出てきました。このへんにしといてほしい。

焙煎とkaffaマーク

今日、焙煎人が、2017年初の、ティモール ロロサエ ブレンドを焙煎しました。綺麗にきちんと焼けてます。ルスラオ村の2016年産、最新クロップです。東ティモールの山奥の風土で出来ています。

 

kaffaには、マークがあります。コーヒーの果実の断面をひねった図案です。実際の果実の断面は、僕の知る限りは、線対称ですが。

天然100%ではなく、ちょっとひねくれているのです。

と、思ったけど、実際の果実の断面も点対称だったような気がしてきた。あれ?たぶん、点対称だな。というわけで、kaffaマークは、ひねくれてなかった⁈天然だった。

どっちでも、いいか…。

薪のその日暮らし


先日の雪が、まだ残るkaffa家の周辺。明日、もしかしたら、また雪の予報。年明けに作った薪が、もう僅かしか残ってない。

我が家の暖房は、薪ストーブ。というと、たいていの人は、羨ましいと言う。確かに、薪ストーブは良いのだが。毎日が火遊びでね。

我が家は、ほぼ個室がない。一台の薪ストーブで家中を暖める。

貧乏なので、ホームセンターで売っていた4万円位の鋳物の本体に、よくある安い煙突を取り付けている。買った当初は、薪ストーブ本体も、二重構造で、きちんと二次燃焼していたのだけど、二重構造は、二年保たず、さらに、薪投入口の耐熱ガラスも、一昨年辺りかな、長い薪を無理やり突っ込んだ挙げ句に投入口を閉めて、割ってしまった。今や、ただの鋳鉄の箱に煙突が付いている代物である。煙突も二重煙突ではないから、外部煙突は、常につまり気味で、家中が煙い。子どもたちは、学校で、「鰹節の匂いがする」とか言われる。人間の燻製である。

そのような薪ストーブだから、燃焼効率は、悪いのだろう。さらに、僕は、寒いのが嫌いなので、在宅中は、薪をどんどん燃やす。

その上、面倒くさがり屋なので、冬が来る前に薪を備蓄することができない。寒くなると、慌てて薪を準備する。

普通、薪ストーブで暮らす人は、きちんと薪置き場を作り、ひと冬充分な薪を備蓄する。うちには、薪置き場もない。雨のあたらないデッキの玄関先の狭い区域に、とりあえず積めるだけ、薪を作る。だいたい、2〜3週間分かな。先日のような寒波が来て、かつ、出掛けない日々が続けば、その薪の山は、みるみるなくなってしまう。ヤバい!

そうなると、面倒くさがり屋の僕も、動き出す。薪ハンターになるのだ。

車にチェーンソーを積み、近所の森を偵察する。なるべく道の近くで、手頃な、立ち枯れた木を探すのだ。完全に倒れてしまった木もあるけど、それは、濡れて腐っていることが多い。近所には、松食い虫にやられた松がたくさん立ち枯れてはいるが、立ち枯れ松は、うちの薪ストーブで燃やすと大変なことになる。煙くて煙くて、目を開けていられない。鼻も痛くなる。

僕が一番好むのは、山桜。燻製に使われるよね。ちょっと甘い、いい匂いだ。山桜も、よく立ち枯れる。出来るだけ、山桜を狙う。ただ、大物は少ない。割と小さい山桜か、大きな山桜の根元近くから分岐した枝が立ち枯れやすいみたいだ。

年明けの狩りでは、道から2mの所で、幹の途中でバッサリと折れて立ち枯れているかなりの大物山桜を仕留められた。とてもラッキーだった。おかげ様で、今日まで、先日の寒波も含め、ぬくぬくと快適に暮らすことができた。

今日も山桜を探しに出掛けた。焙煎人も暇そうだったので、誘った。

家から200mくらい登った所で、小さな山桜を発見。かなり枯れてから時間が経っており、車窓からは、スカスカに見えたが、確認してみると、まあまあ、いける。早速、チェーンソーで切り、車に積む。ギリギリ1日分かな。

ふと目を上げると、そこから藪を10mくらい入ったところに、根元の直径が40センチ位のかなり大物のナラが、幹の途中で折れ、くの字に立ち枯れているではないか!これは、もう、今日の狩りとしては充分。たぶん、2〜3週間、暖かく暮らせる。10m運ばねばならないが、10mだからね。そのくらい頑張る。焙煎人という助っ人もいるし。

そのナラの木を根元から倒す。枝を落とし、運べる長さに切る。太い幹を運べる大きさに玉切りする。それを車に運ぶ。積む。雪の残る藪に足を取られながら、老夫婦は、へとへとである。一往復しては、へたり込んで息を整える。

やっとこさ、ステップワゴンの後ろ半分満載に積みきった。

家に帰って、獲物を下ろし、細めの枝は、電動丸のこで、薪の長さに切る。太い枝と幹は、チェーンソーで切る。仕上げは、薪割りである。なかなか手強い。

できた薪を置き場に積む。やっと終わった!まあ、だいたい休み休みで4時間のお仕事かな。

ヘロヘロだが、積み上がった薪の山を眺めながら煙草を一服して、大満足。コーヒーも淹れれば完璧なのだが、腕も腰も脚も力がない。へたれなんである。

そして、今、薪ストーブの横のボロボロの王座に座り、氷点下の屋外とは別世界のポカポカに包まれ、火を眺めながら、書いている。あー、これから2〜3週間、豊かだ!幸せ。

この、薪のその日暮らしは、春遅くまで続く。春が近づくにつれ、雨や雪の日が増え、乾いた薪を狩るのが難しくなる。湿った薪は重く、燃えにくい。

昔、と言っても、わずか100年程度前までは、ほとんどの人々は、薪や炭で料理し、暖をとり、命を繋いできた。薪は貴重だった。森の木に生かされていた。

昨日書いた、東ティモールでは、14年前にもそうだった。首都のディリには、電気があった。が、貧しい人々に電気の恩恵は少なかった。ディリの背後の山の斜面が禿げ山だったのは、薪のためだと聞いたような気がする。

首都では、貧困を感じた。だけど、森の奥、ルスラオで、僕は、全く貧しさを感じることはなかった。彼らに現金も、電気も、なかったにせよ。彼らは、森に生かされていた。生き生きしていた。

僕は、赤城山で、人類史上有り得ない程の贅沢を楽しんでしまっている。木が、文字通り、「腐るほど」ある。

近所では、森を伐採して、ソーラー畠が増え続けている。森を所有してても、一銭にもならないからだ。

ほんの1キロ離れたところには、最近バイオマス発電所が計画され、工事が始まっている。24時間365日、この赤城山周辺の木を燃やし湯を沸かし電気を作るそうだ。

我が家の、薪のその日暮らしは、維持できるのだろうか?立ち枯れた木は、残っているのだろうか?

バイオマス発電所は、森の維持に責任を感じるだろうか?

バイオマス発電所に間伐材を運ぶなら、途中でうちに下ろしてくれないかな?ほんのちょっとでいいんだけどな。